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『Live キミの街へ〜Here We Go!』は、8/24(土)Zepp Nagoya にて!「進化し続けてきているわたしの声と、わたしに会いにきてください!」

2019/08/09 15:00


 「思い出は美しすぎて」「みずいろの雨」「ポーラースター」など、40年前に数々のヒット曲を世に送り出した八神純子。その曲たちは、八神純子自身と同様に色褪せることなく、今の作品とともに光り輝いている。あの美しいクリスタルヴォイスはさらにパワーアップし、聴くひとの心を揺さぶりながら気持ち良く響き渡っていく。

 来年の夏まで続く全国ツアー『Live キミの街へ〜Here We Go!』。名古屋は8/24(土)Zepp Nagoyaにて。

 アメリカに渡り、20年間のブランクを経て音楽活動を再開してから8年。インタビューでは、音楽への想いを飾らない言葉でたっぷりと語ってくれた。今の八神純子を感じてほしい。ライブで披露する最新曲「Here We Go!」が聴きたい!



「今回のタイトル『Here We Go!』は大好きな言葉。“大丈夫だよ、Here We Go!”って言って、ステージに出て行くんです」


――2018年リリースのライブ・アルバム『This is the ヤガ祭り』、とてもとてもかっこ良かったです。なによりも、過去の曲と今の曲とに境目がないことに感動しました。

わたしの曲がみなさんの中に今も古くならないでいてくれるのは、スタッフたちが永遠に楽しめることを考えて……例えばアレンジだとか……かなり計算されていたのかなって。10年活動してぽっとやめて、アメリカに行って、そのあとのことは誰しも想像がつかなかったことだと思う、わたし自身もね。20年近くのブランクのあと音楽シーンに戻ってきて、その頃の楽曲を歌うとやっぱりカッコ良かった!すごいことやってたなぁって(笑)。当時と同じスタッフで今も音楽づくりをしています。

――「思い出は美しすぎて」でデビューされたのが20歳。

高校1年生、16歳のときに初めて曲を作ってポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)に出たんですけど、すごく簡単に曲が出来たんです、ハードルが全然なかった。「こんなふうかな」「あんなふうかな」って1曲作ったらすっごい楽しくて、「もう1曲作ろう」「最初ボサノヴァを作ったから今度はボサノヴァじゃない曲を作ってみよう」って。出来た2曲をポプコンに出してみたら両方とも賞をもらっちゃって……そこから人生甘く見すぎたんですよね(笑)。Wで賞をもらったのはわたしが唯一のアーティストで、いまだにその話しはよく出ますけど、なにもかもうまくいきすぎた。デビューしてすぐにヒットしましたから、もうちょっと苦労する時期が必要だったかな。苦労する時期があったら、雑音が聞こえてきても跳ね飛ばして継続していたかもしれない、20年間ブランクを置かないで。

――当時の曲は大人っぽくて、洗練されていて。

日本の音楽をほとんど知らなくて、高校生になってもユーミンを知らなかったぐらい。セルジオ・メンデスが大好きで『ブラジル66』をずっと聴いていました。わたし自身はブラジルには行かなかったけど、南米のチリの音楽祭に出ましたし(「もう忘れましょう」で第17回チリ国際音楽祭6位入賞)。好奇心が強かったんだと思います、怖いもの知らずで。

――ひょいと身軽な感じがいいですね。

なんかね、信じるっていうか、「こうなったらいいな」っていうことが「いいな」ではなく「出来る」って。その好奇心がアーティストとして大切で、それがあったからアーティストとしての幅が広がって、ほかのひととはちがうものを作ってこられたと思います。

――「There you are」(2016年)のような、心に深く沁み入る曲の数々が生まれる秘密がわかった気がします。

歩く感受性で、わー!っとHAPPYになったり、ひとの言葉でスコーンと自信をなくしたり(笑)。自分でも手に負えないぐらい感受性が豊かで、例えばうちのペットが死んじゃったとき、悲しくてすごい大変で、「どうしてそんなにいつまでもめそめそしてるの?」って理解してもらえなくて、「なんでわたしはこうなんだろう」って。大人になって「なーんだ。あれがアーティストとしていちばん大事な部分だったんじゃない!」って気が付いたんですけどね。

――さらっとアメリカに行かれたと思っていました。

不器用不器用、ほんと、不器用です。その不器用なわたしをもてあまして「なんでこうなんだろう」って。でも、この10年でとても自分のことを好きになりました。

――音楽をやっていく上で?

そうですね。自分のために出来なくても、ひとのために出来ることっていっぱいあるんだなって。極端なことを言うと、以前のわたしは「お金をください」「アルバムを買ってください」とは自分では言えなかったんです。でも、東日本大震災の被災地の支援をさせていただいて、すごい募金を集めたんですよ。「自分のためにお金を集めることは一切出来なかったのに、ひとのためにお金集めるときってこんなに積極的になれるんだ」って。「じゃあ、自分のことももうちょっと積極的になってみよう」って、今、ちょうどいいところにいると思います(笑)。

――お話の中にあった東日本大震災の被災地支援活動「トランス・パシフィック・キャンペーン(TPC)」を立ち上げたのは、突き動かされる想いがあったからですか?

1994年にアメリカでノースリッジ地震があって、わたしも被災して、1年後の同じ日に阪神淡路大震災があったときに、歌を届けようと思ったけど届けられなかったんです。「歌っていう感じじゃないよ、今は」って言われて、「わたしはなにを言ってるんだろう、おバカさん」って。だけど、「ひとの言葉で行くのをやめた自分はちっぽけな人間だな」「そのひとがそう言ったからなんなの?っていう気持ち、あるでしょ?」「自分が信じてGO!と思ったときは、とりあえずやってみるといいんじゃない?」っていう心の声がアメリカでどんどん大きくなって成長していきました。なので、東日本大震災が起きたとき、阪神淡路の反省がそのまま生きて「東北に行こう」って。わたしにとって、もしかしたらすごく必要だったことかもしれないですね。例えば、それまでどうしても癒せなかった部分がふと気がつくと治っていたり、手に入れたいものを手に入れていたり……。夢中でひとのために、東北のためにやっていたら、何十年も変えたかった自分のある部分がぜんぶ変わっていました。不思議なものだなと思います。

――怖がらずに、これだと思ったときは「GO!」で。

そういう意味でも今回のライブのタイトル「Here We Go!」は大好きな言葉で、コンサートの前にちょっと怖い気持ちがあったりすると自問自答して「これまでもコンサートは全力でやってきたよね」「うん、やってきた」「手を抜かなかったよね」「うまくいかなかったときもあるけど、手を抜いたことはない」「それを重ねてきたんだったら大丈夫だよ、Here We Go!」って言って、ステージに出て行くんです。

――その想いは会場のお客さんにも伝わりそう。

すごく伝わると思います。20歳でデビューしてアメリカに行くまでの年月と、活動を再開してから今日まで、ちょうど同じ時間が経ちました。活動を休止したときには、歌を歌う使命感みたいなものは薄いというか、ひとに求められていないと思ったり、わたしの音楽の力を信じられなかった。活動を再開してからの8年間はずっと走り続けて、それはいろんなひとに「また歌ってますよ」って知ってもらう期間で、今やっとスタート地点まで戻ってきました。これからが「Here We Go!」なんですよね。

――活動休止があったから、今がある。

きっとね。わたしは 落ち込むときも上がるときもすごい集中力があるんです(笑)。それはわたしのいいところで、集中してやっていると自分が今どこにいるのか一瞬忘れちゃう。一生懸命やって夢中になる性格は自分のいちばんの武器だと最近は思っています。

――夢中になれないことはやらない?

っていうかね、疲れたり、いやになっちゃったり、「面白くないな」って思っているときは夢中になっていないからなんですよ、わたしの場合。疲れを感じたときに「夢中が足らないんじゃない?」「夢中になってごらんよ」って自分に言い聞かせて夢中になってみると、やっぱりすごい集中力で、面白く楽しくなってきちゃうんですよね(笑)。

――どうやって自分を夢中にさせるんですか?

動き続けること、それに向かって。ひとに連絡してみたり、あれもこれもそれもわーってやってみる。とにかく立ち止まらないで動き続けることで、夢中スイッチが入って(笑)、そうすると、もう疲れなくなっちゃうし、楽しくなるし、まず、恐怖っていうものがなくなります。

――恐怖は大きい壁です。

止まっちゃうからね。でも、夢中スイッチを入れると恐怖の壁が来なくなっちゃうって、すごく感じるようになりました。そういういろんな意味がタイトル「Here We Go!」に含まれています。


「昔の曲ばかり歌っているアーティストにはなりたくないし、ずっと進化し続けるべくアーティストだと信じてる」


――失礼な質問かもしれませんが、過去の曲を何千回、何万回と歌っていらして、飽きることはないですか?

飽きちゃった時期ももちろんありましたし、新曲を一生懸命作って発表してもプロモーションに行った先で「『みずいろの雨』を歌ってくれませんか」って言われたり、テレビに出れば「ヒット曲を歌ってください」って。「新曲は?」って聞くと「ちょっとむずかしいです」とか言われたり。そういう時代は「ヒット曲がわたしの邪魔をしている」って思ったこともありました(笑)。今、東北や、いろいろな病院に慰問して歌っていますけど、「みずいろの雨」や「パープルタウン」を歌うと、どんな場所でも聴いてくれたひとが笑顔になるんですね。これってすごいなぁ!って。だって、もう40年経っているのに、いまだに笑顔がこぼれるんですよ。「これは大事にしなきゃいけない」と思って歌っています。

――最近の曲もとても素敵で、日本語を大切にされているのを感じます。

英語で歌えるようになりたくてアメリカに行ったんですけど、わたしが感じるのは、アメリカで日本語で歌ってもひとの心を揺さぶることはなくて、例えば日本にちなんだ「さくらさくら」をお琴にあわせて歌えば興味を持って耳をかたむけてくれるけど、「パープルタウン」を歌ったところで「なんなんだろう〜」みたいなね。言葉ってすごく大事なんです。日本人がアメリカのアーティストの曲を訳詞を見ながら「こんなこと歌ってるんだ」って憧れを抱きながら聴くのはまた素敵なことだけど、歌う本人としては伝わらない言葉を歌ってもしょうがない。逆にアメリカに行ったことで、日本でのコンサートでは日本語を大事に大事に歌って、歌詞がクリアに聴こえることを意識するようになりました。いろんなアーティストのライブに行くけど、歌詞がしっかり聴こえると楽しいし、歌詞が聴こえないとどんなに売れている曲でも、わたしにとってはぜんぜん楽しくない曲になっちゃう。

――同感です。

わたしは昔の曲ばかり歌っているアーティストにはなりたくないし、ずっと進化し続けるべくアーティストだと信じているので、だったらその日初めて聴いた曲も感動していただかないと……そのひとの大切な時間ですしね、それがアーティストとしてのミッションじゃないかな。わたしのコンサートのお客さんは冷静に「さあ、八神純子。なにを聴かせてくれるのかな」って感じで来てくれるので(笑)、ちゃんと歌詞を伝えるコンサートをしないとね。だから、日本語は大事にしています。

――話しが少しずれますが、アメリカと日本を行き来するのは大変じゃないですか?

ぜんぜん平気。移動は大好きです。新幹線は地下鉄に乗るぐらいの感覚(笑)。飛行機も大好きで、空港に行ってわくわく!飛行機に乗ってわくわく!どこでも寝れちゃうのも才能だと思っています。


「今のわたしの躍動感でライブのピークを迎えたい」

『Live キミの街へ〜Here We Go!』は 8/24 Zepp Nagoya にて


――名古屋でのライブはどんな感じになりそうですか?

バンマスでマニピュレーターの彼がキーボードも弾きます。あとは、ドラムスとギター。日本全国いろんな場所でライブをしてきたけど、この3人編成のいいところは、アルバムそのままの音が出せるんですね、バンマスがいれば。アルバムに残されているどうしても聴きたいフレーズがプログラミングしてあるので、みなさんが覚えていらっしゃる「みずいろの雨」はそのままお聴かせ出来るし、あと、最新曲「Here We Go!」も聴いていただいて、そこでピークを迎えられるようなライブにしたいな。懐かしい曲でコンサートのピークを迎えるのではなく、今のわたしの躍動感でライブのピークを迎えたい。それが進化し続けるアーティストとしての証だと思うから。

――地元名古屋でのライブに特別な想いはありますか?

名古屋ってわたしがすごく知ってるだけに、ほかの地域とちがった部分があってね、大阪だと最初からすごい盛り上がってくれたり、そういう地域性ってあるけど、名古屋はかなり冷静で熱くなるのに時間がかかる。今回はZeppツアーなので、熱くなる時間を早くして、最初から盛り上げたいと思っています。ここで生まれ育ったから、わたしのふるさとのひとたちと「今感じていること」「見つけてきた大事なこと」を、歌を通じてシェアしたいな。

――では最後に、東海地区のみなさんにメッセージをお願いします。

名古屋でのライブは久しぶり。進化し続けてきているわたしの声と、わたしに会いにきてください!


インタビュー・ 文/早川ひろみ



八神純子 Official Website >> http://junkoyagami.com
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八神 純子
八神純子Live キミの街へ〜Here We Go!

2019/08/24(土)
Zepp Nagoya
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